【書評】『団鬼六 愛と悦楽の文学』

 

団鬼六―愛と悦楽の文学 (KAWADE夢ムック)
 

 

10年ほど前に出た文藝別冊。氏の短編やエッセイに加え、関係者によるインタビュー、対談などを収録している。

団鬼六は作品を読まずとも作者自身の破天荒な人生模様を聞くだけで「ごちそうさま」となってしまうような強烈な個性を持った作家である。自然、代表作である『花と蛇』や一連の時代物などのほかには私小説的な作品も多い。

本書に載っている短編は読者層に配慮してか官能作品ではなく、氏のもう一つの得意ジャンルだった将棋小説やアウトローたちの暮らしを描いた自然主義的な作品である。

僕自身は団鬼六の熱心な読者ではない。幻冬舎文庫の『花と蛇』とその映像化作品を観たくらいだったのだが、このたび毛色の違ういくつかの作品を読んでみてこの作家のおもしろさを再発見した思いだった。特に幕末の堺事件を題材にした「駒くじ」は、歴史小説、将棋小説、純文学の要素をあわせ持ったハイブリッドな作風で、官能小説においては前景化しないストーリーテラーとしての作者の力量がうかがえる。

本書を読んであらためて感じたのは、団鬼六という作家は転向型の作家なのだなぁということである。転向型とはどういう意味かというと、政治的な転向ではなく創作上の転向、あらかじめ純文学的な嗜好を持っていた作家が何らかのきっかけでエンタメ路線もしくはジャンル小説に転じ人気を博す現象を勝手にそう呼んでいる。例をあげると、国内では山田風太郎、海外ではモーリス・ルブランなんかがいる。そうした転向作家の作品に共通するのはエンタメとしてふっ切れたようにおもしろいということ。団さん自身はインタビューで純文学は儲からないからダメだしあんまり読んでないみたいなことを言うけど、作品を読むと和情緒、耽美の果てに何かを追い求めてるというか、人間存在を無条件で肯定しているようなところがあって、やっぱりこれはエロを超えた何かだよねと感じさせる。

少なくとも、『花と蛇』において氏が提示した女性美および世界の眺め方はそれまでにないものだったと言える。その視点は純粋な意味でのポルノ作品含め、その他の官能小説、性愛文学に今後も採用され続けるのだと思う。